MENU

NAHTO’s DUELOG in KEPLER-710 p はファンコンテンツ・ポリシーに沿った非公式のファンコンテンツです。ウィザーズ社の認可/許諾は得ていません。題材の一部に、ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社の財産を含んでいます。©Wizards of the Coast LLC.

【ArcheAgeJP】サービス終了に寄せて。【前編 大昔の話】

【ArcheAge】

私がこのゲームに初めて出会ったのはもう10年近く前の事です。
当時私は親戚からデスクトップPCを頂き、3Mbpsも出ない貧弱クソラグ回線でネットの海を漂っていました。
ネットをあてもなくさまよい、今見ればネットリテラシーの欠片もなさそうな言動をかましていたような気もします。

そんな時、某オンラインFPSに友人が誘ってくれてドはまりするようになります。
もともとコンシューマーよりオンラインゲームが好きだったこともあってか、それを機にオンラインゲームをいろいろと触ってみたりもしました(ここでは詳細は省きます)。

ArcheAgeに出会ったのはちょうどその頃でした。

ほかのゲームと違って自分オリジナルのデザインをゲーム内に落とし込めたり(UCC)、自分で作譜を行いゲーム内の楽器で演奏することもできるなど、生活系MMOの中でもクリエイティブなコンテンツがあることに期待とワクワク感を募らせて始めました。

下のライブアーカイブで確認したところ、【リヴァイアサン先行体験イベント】の時の、T鯖遠征隊間による派閥のゴタゴタがあったように記憶しているので2014年の中ごろくらいにはArcheAgeを始めていたんじゃないかな…?

私のArcheAgeフォルダ内データで一番古いものが2015/01/09だったのでそれまでにはJoinしていたと思います。

……

基本的な操作のチュートリアルが終わって世界に放り出された私は右も左もわからず、ただ淡々と種族クエストをこなしていました。
しばらくしてガランドル平原のコールドウィンドIDに悪戦苦闘していた時、初心者の私に熟練者側で協力していただき、さらに遠征隊(クラン)に勧誘までしていただいたことは、様々なオンラインゲームを触ってますが後にも先にもこの一回だけでした。
ヒルダさん?ヒルデさん?だったでしょうか。今では名前もおぼろげにしか覚えていません。
しかしこの経験は、リアルでのつながりがない相手から人の温かみを感じ取れた初めての瞬間として、今でも記憶の中からすぐ取り出せるくらいには嬉しい記憶として残っています。

それ故に最後の瞬間までこの遠征隊を離れる、という考えは持ちませんでした。
まあ実際のところは、2度の統合によってもともとの【遠征隊 Saros】の記録は消え、既に解散となっていたといえばそうなのかもしれません。

……

遠征隊に入ってからはゆったりとイベントに参加したり、釣り大会やNM討伐にも参加したりしていました。
クラーケンやらリヴァイアサンやら…この時はまだリヴァイアサンの討伐ができていなかったんじゃなかったかな?

遠征隊の方々とNM参加したのもこの1,2回くらいでした。
貧弱開戦民の私からしてみれば装備面でも精神面でも敷居がメチャクチャ高かったですから…(笑)
この時は確か、どうせ倒せないから記念についてきたら?くらいのノリで誘われました。
それでも(ええ、でも周りの人ガチ勢ばっかやん…)とガチガチになってました(笑)

そのあとくらいに弱体化イベントみたいなものがあって、記念のキャップをゲットした記憶があります。

ですが、様々なNMが追加されると同時に勢力内での奪い合いも起こり始め、遠征隊間でのトラブルが色々起こっていた、とのことを後に聞かされました。
内向的だった私は、勢力DC(Discord?)なるものの存在も結構後になって知ることになります。
ましてや、参加する気は全くありませんでした。
遠征隊同士がバチバチな時代を傍から見てきていた私は、そういう場所に軽い気持ちで身を投じるといらぬ責任が付きまといそうに感じていましたから。

……

一度ArcheAgeから離れた一番の原因は遠征隊の中で派閥ができ、空中分解のような形で各々が別の遠征隊へ移ったからでした。
Tayang鯖における初心者支援の窓口的存在だった当遠征隊でしたが、求めるコンテンツは人それぞれなのでNMにかける熱意も違いました。
また、新しいサーバーができれば新規ユーザは新しいサーバーへと流れていきます。
そういった状況もあいまって少しずつ規模が小さくなっていくことはある程度見えていたのかもしれません。
様々な人が別の遠征隊に移っていくなかで、私もこれを機に一度ArcheAge自体から離れることにしました。

……

ここまで書いて遠征隊長が【カルディアさん】という方だったことを思い出しました。
中編ではその後数年して復帰→活動↔休止を繰り返す時期や二度の統合を経て、
少しずつユーザーイベントに参加していたことなどの話を書こうと思います。
一番の心配は記憶があいまいなので時系列がおかしくなっているかもしれないことです……(笑)

ここまで見てくださりありがとうございました。
残りの思い出語りの記事も見ていただければ幸いです↓

……
……

余談
ちなみに残ってた一番古い画像ファイルはこれです↓

撮影日:2016/08/25 13:51

ホワイトフォレストで小型住宅の建築をしているときの写真ですね。当時のブログに載せる用の画像だったんじゃないでしょうか。
そう考えると復帰、鯖統合以降の住宅もずっとホワイトフォレストだったので感慨深い思いです。

当時の画像にはほぼほぼUIがないのでその頃のサーバー内の雰囲気なんてものはもう覚えていません。
他ユーザーの名前が載ることをあまりよろしくないと考えていたのでしょう。

……

10年。
とても長い時間でしたが、その長い時間をこのゲームと共にできたことをとてもうれしく思います。
当時は学生だった私も今ではバリバリの社畜となり、ロクにブログの更新もできません。
でもこのゲームの思い出に対して言えることは全て「楽しかった」ということでした。

この記事の締めとして、ひとこと。

いい思い出をたくさん、本当にありがとうございました!!!

ページ作成者

KEPLER-710 p の管理者。
現地のワープホールを活用して地球を行ったり来たりしている。
現在はしばらく定着中。

目次